生物であれ、動物であれ、人であれ

私たちはよく「考えること」「学ぶこと」「理解すること」を重視します。
経験から得た知識、勉強して身につけた理論、誰かから教わった正解。
それらは確かに、人として生きるうえで大切なものです。
けれど私は、施術を通して多くの身体に触れる中で、ある確信を持つようになりました。
人類が個人の経験で身につけた思考や知見よりも、
動物的な本能や、生物として本来備わっている能力のほうが、
はるかに賢く、正確で、信頼できる場面があるということです。
人間の身体は、もともと「うまく生きる」ようにできています。
呼吸も、循環も、回復も、成長も、本来は誰かに教わらなくても起こるものです。
赤ちゃんが誰にも教えられずに呼吸し、心臓を動かし、母乳を飲み、眠るように。
それは“考えて”やっているわけではありません。
感じ、反応し、調整するという、生物としての働きです。
ところが現代の私たちは、
・どうあるべきか
・何が正しいか
・この症状にはこの対処
と、頭で理解した「後づけの正解」を重ねすぎてしまいました。
その結果、身体が発しているサインよりも、
思考や不安、情報のほうが前に出てしまう。
本当は休みたいのに「まだ頑張れるはず」
本当は怖いのに「気のせいだと思わなきゃ」
本当は限界なのに「みんなやっているから」
こうして、生物としての自然な反応が、
“人としての思考”によって上書きされていきます。
整体やオステオパシーで私が大切にしているのは、
「何かを足すこと」ではありません。
正しい動きを教え込むことでも、無理に変えることでもない。
すでに身体の中にある、本来の働きが
きちんと発揮できる状態に戻すこと。
それは、
生物としてのリズム
動物としての感覚
人としての知性
この順番を、元に戻す作業だと考えています。
まず身体が感じ、反応し、整う。
その上で、思考や理解が役に立つ。
逆ではありません。
「生物であれ、動物であれ、人であれ」
この言葉には、
人間である前に、私たちは生き物だ
という、とても当たり前で、でも忘れられがちな事実を込めています。
このブログでは、
症状の話だけでなく、
身体の見方、回復の考え方、
そして“生きやすさ”につながる視点を、
少しずつ言葉にしていこうと思います。
頭で納得するためではなく、
身体が「あ、これでいいんだ」と思い出すために。
